被害を受けた後にも被害を受けることがあるのを知っていますか?
犯罪の被害には、生命・身体・財産などに対する直接の被害(一次被害)だけでなく、その一次被害に起因する様々な被害、つまり二次被害を伴うことがあります。
犯罪は、被害者に「もう二度と回復することはないだろう」と思わせてしまうほどの心の傷を残したり、今まで経験したことも想像したこともないような数々の苦痛や強いショックを、一瞬に、しかも一度に与えます。
それは、直接の被害者だけでなく、その家族や周囲の人々の生活をも変えてしまいます。時には、その本人でなければ理解し得ないほどの深い傷となることもあります。
二次被害の原因は、捜査機関、司法機関や医療機関の態度、マスコミの取材・報道、周囲の噂や好奇の目で見られることなど様々な要因があります。
それらに共通しているのは、被害者の「人間としての尊厳」を傷つけるような接し方という点です。
言葉は、我々が普段コミュニケーションの手段として使っているだけに、知らず知らずのうちに他人を傷つけているということに気づきにくいものです。
しかも二次被害の原因となるのは「あんな事件に遭うのは因果応報だ」とか「あんな格好をしているから犯罪に巻き込まれるんだ」、「夜、一人歩きするから当然だ」などの被害者に責任があるような言い方や普段でも傷つきそうな言葉だけではありません。
「いつまでもくよくよしないで、早く事件のことは忘れなさい」「これも運命だから」「思ったより軽くて良かった」「元気を出して」「子どもの分まで生きて下さい」「しっかりしなさい」「頑張って」などのように普段ならば何とも思わずに聞き流してしまうような言葉や言った側としては「早く立ち直ってもらいたい」と励ましたつもりでも、被害の後の傷ついた心には引っかかったり、引きずったりすることも多いようです。
また、社会には犯罪者と同様に、被害者は社会的には異質のものとして扱ってしまうことが二次被害の根底にあると思われます。
我々が持っている「被害者はこうあるべきなんだ」という固定観念が、更に追い打ちをかけ、社会からの疎外感を一層増してしまうこともあります。
「遺族はしょんぼりと泣いているのが当然だ」という考えを持つ人には遺族が笑っていることが不謹慎に思えたり、また、被害者も、そんな自分に違和感を感じて責めてしまったり、人と会うことに恐怖感を覚えたりして、尚更、社会と隔絶してしまいます。
「支えてあげよう」という気持ちはとても大事です。
しかし、言葉に出して伝えることだけが唯一の手段ではありません。
もし、あなたのそばに打ちひしがれている人がいるならば、その人のことを思いながらそっと寄り添ってあげて下さい。
それが一言よりも大事なことかも知れません。